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あこがれの南国くらし

チェンマイ暮らし


       

エッセー

チェンマイのロングステイ仲間のMさんがポルトガルで急逝した。年金生活と共に娘さんの嫁ぎ先のパリで過ごしていたが、何故か友達に誘われて訪れたチェンマイが気に入り夫婦でチェンマイに移り住んで10年近くになります。日本でアニメの巨匠と言えば誰でも知っているM氏のお兄さんです。

彼は学習院大学のラクビー部のOBでチェンマイでは隔日にゴルフ場で9ホールだけプレーし、後は緑陰のテーブルでコーヒーを飲むのが日課でした。そこにプレーを終えたメンバーが来たら腰掛けやテーブルを整え、日射しのあるところには日傘を移動する等、実に細々と面倒を見てくれていました。
Mさんご夫妻はチェンマイが酷暑に襲われる
4月から5月にかけ毎年1ヶ月、暑さを避けて、チェンマイを離れます。和食党のMさんは炊飯器持参のプチロングステイです。一昨年はイタリー、去年はスペイン、そして今年はポルトガルでした。この計画の全ては奥さんが受け持っている様で、本人はついて行くだけ呑気なものと言っていました。主要都市の安ホテルに一週間ほど泊まって名所旧跡を地図頼りでバスと電車でたどるのだそうです。旅行と言うより、短期ではありますが住みつくと言った方が正しいかも知れません。その日の終わりには、友達に面白おかしく失敗談を織り交ぜてメールで報告してくれるのです。

あわてん坊のせいか誤字脱字が必ずあるレポートですが、写真と共に送信してくれるメールは読む者を楽しませてくれ待ち遠しい程でした。次は亡くなった4日前のメールの一節です。

「コインブラの天候は私の体調と同じで、すっきりしません。風邪はやっと開放間近の感じになっていますが、天候もあと一息でしょう。ホテルのオーナーは、190cmの大男です。彼が毎朝、コーヒーを落としてくれます。朝食は簡単で、パン数種、ジャム二種類、バター、チーズ、ハム、蜂蜜とコーヒー紅茶です。ファランの朝食は甘いものが主で、どうも受け入れにくいですね。「ポルトガルの日曜日は殆んどの店が閉められてしまいます。
 先週、リスボンでひどい眼に会いましたから、今日中に色々と買物をしないと明日の日曜日は何も無しになってしまいます。
家内は昨日見つけたスーパーに買物に行きました」…

リスボンの後の文章がご愛敬ですね(原文のまま)。彼は風邪と思い込んでいた様です。
翌日には、メールのタイトルが風邪と共に去りぬ…幾分気分が良くなった様でした。修道院、教会、大学など多くの写真と共に、こんなメールが来ました。

15日、日曜日です。雲も風邪とともに去りました。
大河モンデゴの向こうの丘にあるサンタクララ修道院に行く決心をしました。一時は、タクシーでとも考えましたが、徒歩を決意したのです…。

そして次の日にファドを聴きにと言うメール。

「ポルトガルと言えばファドでしょう。宿の斜め前で、毎晩ファドの演奏をやっていまして、私達も観賞に出かけたのです。」

その翌日、何故か昼食の写真が送られてきました。写真と共に「今日の昼ご飯です。 冷奴、煎り卵、大振りなみそ汁、とまと、それに昆布の佃煮、ちりめん山椒です。しあわせ」

さも無い昼食ですが、外国でこれだけのものを作って食べることは大変なことです。そして「しあわせ」…が彼の絶筆となりました。Mさんらしい人生の閉じ方でした。

 目を閉じると、ウェスタンハットをかぶって大樹の元でコーヒーを飲んでいる姿が目から離れません。
私もこの年(82)になると訃報に接することが多く、それほど驚きませんが、Mさんの急逝には悲しみを通り越して、何故死んだと…憤りに近い感情に襲われました。
死因は不明ですが、おそらく肺炎であったのでは…と思います。そうであったら予防注射をしていたら助かった命かも知れません。そしてもったいない、痛ましい戻って来て貰いたい…と言う気持ちです。悲しみはその後にくるものなのでしょぅね。

 Mさんは私の3歳下、加齢と共にゴルフが億劫になった私に、阿部さんがゴルフをやっている間は私も頑張れるので、頑張ってくれとたまにコースに行くと尻をたたかれたもんです。それなのに自分が先に行ってしまうなんて…恨みたくもなります。 あわてん坊のM さんらしく楕円のボールを抱えて、頭を下げがむしゃらに飛び込んだ先が幽玄の世界であった。そのうち決まり悪そうな顔をして、俺ゴールを間違えちゃったよ…と戻ってくれそうでなりません…これを未練と言うのでしょうか。

 その後M さんの追悼ゴルフをチェンマイの仲間達がやってくれたと聞きます。葬儀は東京の世田谷で行われました。東京在住のロングステイ仲間が参列してくれた様です。
49日とは良く言ったもので、訃報に接し、奥様にお悔やみを申し上げる事も出来ませんでしたが、49日を迎える頃やっと心の整理が出来そうです。      合掌

2016年8月記